城下町科研・米子研究集会 〈米子城 魅せる!プロジェクト2016〉 [お城情報]
お城のシンポジウムの案内です。
城下町科研・米子研究集会 〈米子城 魅せる!プロジェクト2016〉
「中近世移行期の山陰東部における都市・地域・権力《因幡・伯耆・出雲》」
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 米子市福祉保健総合センター「ふれあいの里」(鳥取県米子市錦町1-139-3)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
講演
「16世紀における都市と権力《全国からみた山陰》」仁木宏氏(大阪市立大学)
「月山富田城から松江城へ」長谷川博史氏(島根大学)
報告
「米子城の城郭構造」濵野浩美氏(米子市教育委員会)
「米子城下の発掘調査」佐伯純也氏(米子市文化財団)
パネルディスカッション
問合せ
米子市教育委員会文化課
℡0859-23-5438
城下町科研・米子研究集会 〈米子城 魅せる!プロジェクト2016〉
「中近世移行期の山陰東部における都市・地域・権力《因幡・伯耆・出雲》」
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 米子市福祉保健総合センター「ふれあいの里」(鳥取県米子市錦町1-139-3)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
講演
「16世紀における都市と権力《全国からみた山陰》」仁木宏氏(大阪市立大学)
「月山富田城から松江城へ」長谷川博史氏(島根大学)
報告
「米子城の城郭構造」濵野浩美氏(米子市教育委員会)
「米子城下の発掘調査」佐伯純也氏(米子市文化財団)
パネルディスカッション
問合せ
米子市教育委員会文化課
℡0859-23-5438
西尾市岩瀬文庫企画展「火事―火事と日本人のかかわり1000年」 [歴史雑話]
西尾市岩瀬文庫で企画展「火事―火事と日本人のかかわり1000年」が始まりました。
岩瀬文庫の企画展のあいさつです。
建物に木材を多用してきた日本の人々にとって、火事は常に身近な存在でした。
現在の私達は、火事にいつもおびえる生活をしているわけではありません。
しかし、いつの時代もそうであったのではなく、現在にいたるまでには、多くの人々の努力や犠牲、苦労がありました。
本企画展では、そのような火事と日本人とのかかわりを、平安時代から明治時代までの、およそ1000年間の歴史をおってみていきます。
期間は、2016年11月12日(土)~1月29日(日)です。
西尾市岩瀬文庫
〒445-0847
愛知県西尾市亀沢町480
℡0563-56-2459
西尾市消防本部との共催です。
お城関係の史料としては、江戸城大手門の火事の際の火消しの配置図がありました。
大手門の形はいいですが、三の丸の堀の形が省略されています。
岩瀬文庫の企画展のあいさつです。
建物に木材を多用してきた日本の人々にとって、火事は常に身近な存在でした。
現在の私達は、火事にいつもおびえる生活をしているわけではありません。
しかし、いつの時代もそうであったのではなく、現在にいたるまでには、多くの人々の努力や犠牲、苦労がありました。
本企画展では、そのような火事と日本人とのかかわりを、平安時代から明治時代までの、およそ1000年間の歴史をおってみていきます。
期間は、2016年11月12日(土)~1月29日(日)です。
西尾市岩瀬文庫
〒445-0847
愛知県西尾市亀沢町480
℡0563-56-2459
西尾市消防本部との共催です。
お城関係の史料としては、江戸城大手門の火事の際の火消しの配置図がありました。
大手門の形はいいですが、三の丸の堀の形が省略されています。
歴史フォーラム「豊臣大坂城と真田幸村」 [お城情報]
歴史フォーラム「豊臣大坂城と真田幸村」
日 時 2016年11月23日(木) 13時30分~17時00分
場 所 大阪歴史博物館(大阪府大阪市中央区大手前4-1-32)
定 員 250名(申込不要)
参加費 1000円
内 容
基調講演「真田幸村?名将の生涯」 北川央氏 大阪城天守閣館長
基調講演「真田丸から信繁の戦略を読む」 千田嘉博氏 城郭考古学者/奈良大学教授
パネルディスカッション 北川 央、千田嘉博、桜花昇ぼる(元OSK日本歌劇団トップスター)、小日向えり(歴史アイドル)
問合せ
大阪市経済戦略局 観光課 集客拠点担当
℡06-6469-5164
toyotomi-ishigaki@city.osaka.lg.jp
日 時 2016年11月23日(木) 13時30分~17時00分
場 所 大阪歴史博物館(大阪府大阪市中央区大手前4-1-32)
定 員 250名(申込不要)
参加費 1000円
内 容
基調講演「真田幸村?名将の生涯」 北川央氏 大阪城天守閣館長
基調講演「真田丸から信繁の戦略を読む」 千田嘉博氏 城郭考古学者/奈良大学教授
パネルディスカッション 北川 央、千田嘉博、桜花昇ぼる(元OSK日本歌劇団トップスター)、小日向えり(歴史アイドル)
問合せ
大阪市経済戦略局 観光課 集客拠点担当
℡06-6469-5164
toyotomi-ishigaki@city.osaka.lg.jp
ミニシンポジウム「椿井城研究の最前線」 [お城情報]
お城のイベントです。
ミニと付きますが、なかなか濃い内容です。
ミニシンポジウム「椿井城研究の最前線」
日 時 2016年11月20日(日) 10時00分~12時30分
場 所 平群町中央公民館(奈良県生駒郡平群町大字福貴1037-2)
参加費 無料
内 容
「平群谷の中世城郭」内野和彦氏(城郭談話会)
「椿井城の縄張り構造」中川貴皓氏(知立市教育部)
「椿井城の発掘調査」葛本隆将氏(平群町教育委員会)
パネルディスカッション「椿井城の位置付け」
コーディネーター下坂守氏(京都国立博物館)
パネリスト
坂本雅央氏(戦国史研究家)、内野和彦氏、中川貴皓氏
コメント 「大和在国期の嶋氏の動向」坂本雅央氏(戦国史研究家)
問合せ
平群町中央公民館
℡0745-45-2101
ミニと付きますが、なかなか濃い内容です。
ミニシンポジウム「椿井城研究の最前線」
日 時 2016年11月20日(日) 10時00分~12時30分
場 所 平群町中央公民館(奈良県生駒郡平群町大字福貴1037-2)
参加費 無料
内 容
「平群谷の中世城郭」内野和彦氏(城郭談話会)
「椿井城の縄張り構造」中川貴皓氏(知立市教育部)
「椿井城の発掘調査」葛本隆将氏(平群町教育委員会)
パネルディスカッション「椿井城の位置付け」
コーディネーター下坂守氏(京都国立博物館)
パネリスト
坂本雅央氏(戦国史研究家)、内野和彦氏、中川貴皓氏
コメント 「大和在国期の嶋氏の動向」坂本雅央氏(戦国史研究家)
問合せ
平群町中央公民館
℡0745-45-2101
西尾城シンポジウム3-在地領主の動向 [お城情報]
西尾城シンポジウムも今年で3回目です。
基調講演の講師は昨年度と同じ愛知大学教授の山田邦明先生です。
西尾城シンポジウム3-在地領主の動向
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「戦国時代の三河の動乱」山田邦明氏(愛知大学教授)
報告
「城館構造からみた在地領主」奥田敏春氏(西尾市史執筆員)
「三河湾の水軍・幡豆小笠原氏」小川雄氏(西尾市史執筆員)
「大河内・巨海・高橋及び富永氏の系譜」小林輝久彦氏(西尾市史調査員)
問合せ
西尾市教育委員会
℡0563-56-6660
基調講演の講師は昨年度と同じ愛知大学教授の山田邦明先生です。
西尾城シンポジウム3-在地領主の動向
日 時 2016年11月19日(土) 13時~17時00分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「戦国時代の三河の動乱」山田邦明氏(愛知大学教授)
報告
「城館構造からみた在地領主」奥田敏春氏(西尾市史執筆員)
「三河湾の水軍・幡豆小笠原氏」小川雄氏(西尾市史執筆員)
「大河内・巨海・高橋及び富永氏の系譜」小林輝久彦氏(西尾市史調査員)
問合せ
西尾市教育委員会
℡0563-56-6660
小諸市高原美術館 [お城踏査]
富士見城@長野県小諸市 [お城踏査]
富士見城は長野県小諸市諸字城峯にあった中世城郭です。
富士見城は、標高835.5mの飯綱山山頂に築かれています。
城跡は公園になっています。
城の図面です。
富士見城の特徴は平坦な郭をいくつも並べています。
富士見城の歴史はわかっていません。
主郭です。
展望台があります。
堀切にある石垣です。
富士見城は石垣が異様に多くあります。
石垣とは言っても高さは2m以内で低いものです。
積み方も粗く、本当に城の石垣かと思います。
もしかすると後世の畑地などによるものでしょうか。
堀切です。
幅広いですが、それほど深くはありません。
堀切らずに片方は掘り残しています。
橋が復元的にかけられています。
城跡近くにある旗塚です。
富士見城の山の下には上信越自動車道が通っています。
自動車道は、トンネルになっています。
富士見城のある山の上には小諸市高原美術館があります。
富士見城は、標高835.5mの飯綱山山頂に築かれています。
城跡は公園になっています。
城の図面です。
富士見城の特徴は平坦な郭をいくつも並べています。
富士見城の歴史はわかっていません。
主郭です。
展望台があります。
堀切にある石垣です。
富士見城は石垣が異様に多くあります。
石垣とは言っても高さは2m以内で低いものです。
積み方も粗く、本当に城の石垣かと思います。
もしかすると後世の畑地などによるものでしょうか。
堀切です。
幅広いですが、それほど深くはありません。
堀切らずに片方は掘り残しています。
橋が復元的にかけられています。
城跡近くにある旗塚です。
富士見城の山の下には上信越自動車道が通っています。
自動車道は、トンネルになっています。
富士見城のある山の上には小諸市高原美術館があります。
上廣歴史文化フォーラム「城郭研究最前線」 [お城情報]
白石城でもお城のフォーラムです。
本当に今年も城のイベントが多いですね。
上廣歴史文化フォーラム「城郭研究最前線」
日 時 2016年11月13日(日) 13時~16時30分
場 所 白石市中央公民館(宮城県白石市字寺屋敷前25-6)
定 員 300名
参加費 無料
内 容
(1)「白石城と仙台藩の支城群-城・要害・所・在所-」鹿児島国際大学教授 太田秀春氏
(2)「現存12天守と白石城の魅力」城郭ライター 萩原さちこ氏
問合せ
白石市生涯学習課
℡0224-22-1343
本当に今年も城のイベントが多いですね。
上廣歴史文化フォーラム「城郭研究最前線」
日 時 2016年11月13日(日) 13時~16時30分
場 所 白石市中央公民館(宮城県白石市字寺屋敷前25-6)
定 員 300名
参加費 無料
内 容
(1)「白石城と仙台藩の支城群-城・要害・所・在所-」鹿児島国際大学教授 太田秀春氏
(2)「現存12天守と白石城の魅力」城郭ライター 萩原さちこ氏
問合せ
白石市生涯学習課
℡0224-22-1343
東海学シンポジウム「いくさの歴史」 [お城情報]
東海学シンポジウムは、今年はいくさの歴史です。
午前は古代の戦い、午後は戦国の戦いです。
東海学シンポジウム「いくさの歴史」
日 時 2016年11月13日(日) 9時~16時30分
場 所 春日井市民会館(愛知県春日井市町)
定 員 300名
参加費 4000円
内 容
《記念講演》
「いわゆる磐井の乱の背景」 西谷正氏(九州大学名誉教授・海の道むなかた館長)
《報告》
①「水運王継体VS筑紫君磐井~磐井戦にみるヤマト王権の戦略」森田克行氏(今城塚古代資料館特別館長)
②「磐井の乱前史」 白井忠雄氏(高島市歴史民俗資料館)
《講演》
①「織田信長と幕府・朝廷」 水野智之氏(中部大学准教授)
②「信長の京都宿所と本能寺の変~政権構想とからめて~」 河内将芳氏(奈良大学教授)
③「織田信長と京都」 山田邦和氏(同志社女子大学教授)
《映像による報告》
「小牧山城と城下町」 小野友記子氏(小牧市教育委員会)
《討論》
「信長のいくさ」 (参加講師:山田・河内・水野・小野の各氏)
司会 兼康保明(東海学センター理事・考古学者)
午前は古代の戦い、午後は戦国の戦いです。
東海学シンポジウム「いくさの歴史」
日 時 2016年11月13日(日) 9時~16時30分
場 所 春日井市民会館(愛知県春日井市町)
定 員 300名
参加費 4000円
内 容
《記念講演》
「いわゆる磐井の乱の背景」 西谷正氏(九州大学名誉教授・海の道むなかた館長)
《報告》
①「水運王継体VS筑紫君磐井~磐井戦にみるヤマト王権の戦略」森田克行氏(今城塚古代資料館特別館長)
②「磐井の乱前史」 白井忠雄氏(高島市歴史民俗資料館)
《講演》
①「織田信長と幕府・朝廷」 水野智之氏(中部大学准教授)
②「信長の京都宿所と本能寺の変~政権構想とからめて~」 河内将芳氏(奈良大学教授)
③「織田信長と京都」 山田邦和氏(同志社女子大学教授)
《映像による報告》
「小牧山城と城下町」 小野友記子氏(小牧市教育委員会)
《討論》
「信長のいくさ」 (参加講師:山田・河内・水野・小野の各氏)
司会 兼康保明(東海学センター理事・考古学者)
砥石城@長野県上田市 [お城踏査]
砥石城は長野県上田市上野にある中世城郭です。
麓から見た砥石城です。
登山口です。
砥石城の登り口は何か所かありますが、駐車場も整備された櫓門駐車場から登ります。
砥石城は村上義清の城で、武田信玄を二度も破った城として有名でした。
その後、武田信玄が落とせなかった砥石城は真田幸隆(昌幸の父、幸村の祖父)が調略で落とし、以後は真田氏の城となります。
今回の真田丸の影響で整備されたようです。
砥石城は、米山城、砥石城、本城、桝形城の4つの城の総称です。
図で見るように一つの山塊の尾根にそれぞれの城がありました。
少し登ると展望台があります。
ここにも真田の旗が・・。
櫓門です。
これは模擬門で、城の遺構ではありません。
ところが、ここから少し登ると足が痛くなり、険しい砥石城の登山はあきらめざるを得ませんでした。
次回にリベンジしたいです。
麓から見た砥石城です。
登山口です。
砥石城の登り口は何か所かありますが、駐車場も整備された櫓門駐車場から登ります。
砥石城は村上義清の城で、武田信玄を二度も破った城として有名でした。
その後、武田信玄が落とせなかった砥石城は真田幸隆(昌幸の父、幸村の祖父)が調略で落とし、以後は真田氏の城となります。
今回の真田丸の影響で整備されたようです。
砥石城は、米山城、砥石城、本城、桝形城の4つの城の総称です。
図で見るように一つの山塊の尾根にそれぞれの城がありました。
少し登ると展望台があります。
ここにも真田の旗が・・。
櫓門です。
これは模擬門で、城の遺構ではありません。
ところが、ここから少し登ると足が痛くなり、険しい砥石城の登山はあきらめざるを得ませんでした。
次回にリベンジしたいです。