小口城@愛知県大口町 [お城踏査]
小口城は愛知県丹羽郡大口町にある中世城郭です。
石碑です。
自然石に彫られています。
小口城は長禄3年(1459)に織田遠江守広近によって築かれました。
その後永禄年間に織田信長により攻められて廃城となりましたが、天正13年の小牧長久手合戦では秀吉方の陣地として利用されました。
堀と石垣です。
石垣は模擬で、堀も公園で整備されたものです。
石垣と土塀です。
塀には狭間が切られています。
石垣も模擬なので、積み方が城の石垣らしくありません。
小口城は中世城郭なのでこのような石垣や土塀はなかったでしょう。
物見櫓です。
中世城郭風に作られています。
小口城は中世城郭なので白亜の天守はなく、かつてはこのような物見櫓が建てられていたと思われます。
門です。
本瓦式です。
城内から見た城門です。
高麗門の形式ですが、屋根に比べて控え柱の屋根が小さく違和感があります。
(続く)
石碑です。
自然石に彫られています。
小口城は長禄3年(1459)に織田遠江守広近によって築かれました。
その後永禄年間に織田信長により攻められて廃城となりましたが、天正13年の小牧長久手合戦では秀吉方の陣地として利用されました。
堀と石垣です。
石垣は模擬で、堀も公園で整備されたものです。
石垣と土塀です。
塀には狭間が切られています。
石垣も模擬なので、積み方が城の石垣らしくありません。
小口城は中世城郭なのでこのような石垣や土塀はなかったでしょう。
物見櫓です。
中世城郭風に作られています。
小口城は中世城郭なので白亜の天守はなく、かつてはこのような物見櫓が建てられていたと思われます。
門です。
本瓦式です。
城内から見た城門です。
高麗門の形式ですが、屋根に比べて控え柱の屋根が小さく違和感があります。
(続く)
シンポジウム「城郭建築の構造と復元について」 [お城情報]
お城関係のイベントです。
少し専門的な内容です。
シンポジウム「城郭建築の構造と復元について」
日 時 2016年7月16日(土) 13:00~
場 所 名城大学天白キャンパス 共通講義棟南S-101教室(愛知県名古屋市天白区塩釜口1)
定 員 170名(申込要)
参加費 無料
内 容
・13:00 趣旨説明 武藤厚氏 (AIJ東海支部・構造委員長)
・13:10 吉田城の復元について 加藤 紘三氏(吉田城復元築城をめざす会)
・13:40 岡崎城跡菅生川端石垣の発掘調査について 山口遥介氏(岡崎市教育委員会)
(休憩 14:00~)
・14:10 木造天守閣の構造と復元について 片岡靖夫氏(中部大学名誉教授)
・15:40 質疑応答
司会・記録: 大塚 貴弘(名城大学)
問合せ
名城大学武藤研究室
amlab21@gmail.com
少し専門的な内容です。
シンポジウム「城郭建築の構造と復元について」
日 時 2016年7月16日(土) 13:00~
場 所 名城大学天白キャンパス 共通講義棟南S-101教室(愛知県名古屋市天白区塩釜口1)
定 員 170名(申込要)
参加費 無料
内 容
・13:00 趣旨説明 武藤厚氏 (AIJ東海支部・構造委員長)
・13:10 吉田城の復元について 加藤 紘三氏(吉田城復元築城をめざす会)
・13:40 岡崎城跡菅生川端石垣の発掘調査について 山口遥介氏(岡崎市教育委員会)
(休憩 14:00~)
・14:10 木造天守閣の構造と復元について 片岡靖夫氏(中部大学名誉教授)
・15:40 質疑応答
司会・記録: 大塚 貴弘(名城大学)
問合せ
名城大学武藤研究室
amlab21@gmail.com
シンポジウム「熊本城はいま」 [お城情報]
徳林寺 [寺院]
犬山城の移築門 [移築城門]
柏森神社 [神社]
専修院 [寺院]
犬山城の移築城門 [移築城門]
名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所公開 その3 [名古屋城本丸御殿復元工事]
名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所公開の続きです。
下御膳所です。
床にあるのは囲炉裏です。
結構大きいです。
囲炉裏の中には灰も入っています。
この囲炉裏で料理などを温め直したそうです。
囲炉裏の上の天井には煙抜きがあります。
囲炉裏と煙抜きの位置関係です。
下御膳所の壁は板壁です。
下御膳所の公開で、以前公開していた溜りの間が非公開になりました。
一時的な措置でしょうか。
下御膳所の説明です。
台所です。
外観は完成しています。
台所は北からも入れるように階段が付けられていました。
これはミュージアムショップをここに作るからでしようか。
本来は28年6月1日に対面所・下御膳所と共に、梅の間、孔雀の間、台所が公開の予定でした。
しかし、障壁画の完成の遅れで、対面所・下御膳所のみの公開となりました。
台所は今年の秋に公開予定です。
しかし、台所は、ミュージアムショップになってしまいました。
名古屋城本丸御殿は完全復元して、将来の国宝にするというコンセプトだったはずです。
それが台所を本来ではないミュージアムショップやトイレ、従業員の控室にしてしまうのは何とも惜しい。
本来の形で公開して欲しかった。
トイレや控室が必要なのはわかります。
それならば、御殿の隣にあった味噌蔵や米蔵を外観復元して、トイレや控室にしたらよかったのでは。
本来は建設予定になかった中の口部屋を復元したように。
孔雀の間や柳の間がどうなるのかの発表はありません。
厳密な復元を望むものです。
天守から見た御殿です。
下御膳所です。
床にあるのは囲炉裏です。
結構大きいです。
囲炉裏の中には灰も入っています。
この囲炉裏で料理などを温め直したそうです。
囲炉裏の上の天井には煙抜きがあります。
囲炉裏と煙抜きの位置関係です。
下御膳所の壁は板壁です。
下御膳所の公開で、以前公開していた溜りの間が非公開になりました。
一時的な措置でしょうか。
下御膳所の説明です。
台所です。
外観は完成しています。
台所は北からも入れるように階段が付けられていました。
これはミュージアムショップをここに作るからでしようか。
本来は28年6月1日に対面所・下御膳所と共に、梅の間、孔雀の間、台所が公開の予定でした。
しかし、障壁画の完成の遅れで、対面所・下御膳所のみの公開となりました。
台所は今年の秋に公開予定です。
しかし、台所は、ミュージアムショップになってしまいました。
名古屋城本丸御殿は完全復元して、将来の国宝にするというコンセプトだったはずです。
それが台所を本来ではないミュージアムショップやトイレ、従業員の控室にしてしまうのは何とも惜しい。
本来の形で公開して欲しかった。
トイレや控室が必要なのはわかります。
それならば、御殿の隣にあった味噌蔵や米蔵を外観復元して、トイレや控室にしたらよかったのでは。
本来は建設予定になかった中の口部屋を復元したように。
孔雀の間や柳の間がどうなるのかの発表はありません。
厳密な復元を望むものです。
天守から見た御殿です。
名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所公開 その2 [名古屋城本丸御殿復元工事]
名古屋城本丸御殿対面所・下御膳所の公開続きです。
対面所の奥にある板戸です。
本来は絵が描かれていましたが、今は無地です。
この奥に梅の間がありますが、今回は非公開です。
対面所と梅の間の間の廊下です。
結構狭くて暗いです。
納戸上之間です。
対面所の反対側にあります。
山水花鳥図です。
納戸上之間は床の間があります。
違い棚はありません。
障壁画です。
納戸上之間の天井は竿縁天井です。
納戸次之間です。
障壁画は、山水花鳥図です。
同じく納戸次之間です。
次之間の東半分には障壁画はありません。
板戸の奥には納戸になっています。
納戸之間の北の廊下です。
結構狭いです。
見学者が多くて写真が撮りにくいです。
(続く)
対面所の奥にある板戸です。
本来は絵が描かれていましたが、今は無地です。
この奥に梅の間がありますが、今回は非公開です。
対面所と梅の間の間の廊下です。
結構狭くて暗いです。
納戸上之間です。
対面所の反対側にあります。
山水花鳥図です。
納戸上之間は床の間があります。
違い棚はありません。
障壁画です。
納戸上之間の天井は竿縁天井です。
納戸次之間です。
障壁画は、山水花鳥図です。
同じく納戸次之間です。
次之間の東半分には障壁画はありません。
板戸の奥には納戸になっています。
納戸之間の北の廊下です。
結構狭いです。
見学者が多くて写真が撮りにくいです。
(続く)