古代山城研究会 [お城情報]

古代山城の研究会です。
少し専門的な内容です。


古代山城研究会
日 時:2016年12月23日(金)13:00~17:30
場 所:大野城まどかぴあ(福岡県大野城市曙町2-3-1)
参加費 1,000円
内 容
「天智期における防衛体制―防・烽・城」 大高広和氏(福岡県教育委員会)
「古代山城へつづく道―基肄城と阿志岐山城の場合」 小鹿野亮氏(筑紫野市市教育委員会)
「鞠智城築城の背景とその役割」 木村龍生氏(鞠智城温故創成館)
問合せ
西宮市甲子園浜田町2-21
古代山城研究会

大石神社 [神社]

赤穂市の赤穂大石神社です。

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赤穂城の三の丸にあります。

神門です。

大石神社はその名の通り大石内蔵助はじめ赤穂浪士を祀ります。

江戸時代には赤穂浪士を祀ることはできませんでしたが、明治33年に作られました。

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鳥居から参道には47士の石像が並びます。

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その中の一人大石内蔵助です。

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本殿です。

戦後には浅野藩主3代と浅野氏遺構の藩主森氏の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可、森成利、森長隆、森長氏、森忠政)を合祀しています。

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狛犬です。

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大石神社の絵馬です。

大願成就はわかりますが、縁結びにもご利益があるようですね。

ハート形です。

12月14日に向けて賑わいそうですね。


花岳寺 [寺院]

花岳寺は赤穂市にあります。

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花岳寺の本堂です。

花岳寺は曹洞宗の寺院です。

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座禅堂です。

花岳寺は浅野家の菩提寺として有名ですが、実は浅野家が改易以降に赤穂城に入った永井家、森家の菩提寺でもあります。

しかし、そのことはほとんど触れられることはなく、浅野家及び赤穂浪士の墓所として扱われています。

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境内にある鳴らずの鐘です。

赤穂浪士46人が切腹をしたことが、赤穂に届くと町民は46士の死を悼み、この鐘を衝きまくりました。

爾来音韻を失すること50年と寛政9年再改鋳の銘に記されています。

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本堂です。

奥に浅野家や森家の墓や46士の墓もあります。

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本堂の天井画の虎です。

元は端午の節句の幟として描かれたものです。

安政五年に描かれました。

偶然ですが、浅野内匠頭の敵役吉良上野介の領地の西尾市吉良町にも吉良氏ゆかりの花岳寺という同じ名前の寺院があります。

なにか因縁を感じます。

かごしま遺跡フォーラム「遺跡が語るドラマスティックストーリー」 [お城情報]

鹿児島でイベントです。
鶴丸城の復元を計画しているので、その講演もあります。


かごしま遺跡フォーラム「遺跡が語るドラマスティックストーリー」
日 時 2016年12月17日(土) 10時~17時00分
場 所 鹿児島県立図書館(鹿児島県鹿児島市)
定 員 150名(申込必要)
参加費 無料
内 容(抄)
「(公財)埋蔵文化財調査センターの発掘調査」岩澤和徳氏(鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター)
「敷根火薬製造所跡の発掘調査速報」今井結記氏(鹿児島県埋蔵文化財センター)
「鹿児島城跡の発掘調査について」永濱功治氏(鹿児島県埋蔵文化財センター)
「再発見!鹿児島城跡の真価―島津氏の築城技術と伝統性を探る」宮武正登氏(佐賀大学教授)
問合せ
鹿児島県埋蔵文化財センター
℡0995-48-5811

シンポジウム「『真田丸』の歴史学」 [お城情報]

大河ドラマ「真田丸」もとうとう終わりですね。
今年最後の真田丸関連のシンポジウムです。


シンポジウム「『真田丸』の歴史学」
日 時 2016年12月17日(土) 10時~17時00分
場 所 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4-1-32)
定 員 350名(申込必要)
参加費 無料
内 容
「<豊臣大坂>と真田信繁(幸村)」仁木宏氏(大阪市立大学大学院文学研究科教授)
「見えてきた豊臣期大坂城本丸」市川創氏(大阪府教育庁文化財保護課技師)
「豊臣大坂城はどこまでわかっているか」岸本直文氏(大阪市立大学大学院文学研究科教授)
「大坂城惣構の復原と真田丸」積山 洋氏(大阪文化財研究所学芸員)
「絵図・地形図からみた真田丸の位置と構造」松尾信裕氏(大阪歴史博物館学芸員)
「大坂冬の陣と真田丸の戦い」大澤研一氏(大阪歴史博物館学芸員)
ディスカッション「真田丸」から見た<豊臣大坂>研究の可能性
問合せ
大阪市総合コールセンター なにわコール
℡06-4301-7285

赤穂城の移築城門 [移築城門]

赤穂城の塩屋惣門が赤穂市の花岳寺に移築されています。

赤穂城の唯一の遺構です。

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花岳寺の山門として第二の門生を送っています。

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寺内から見たところです。

高麗門です。

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門扉です。

城門らしいしっかりとした扉です。

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門扉の壺金です。

赤穂市の文化財に指定されています。

花岳寺は、浅野氏の菩提寺でもあります。

東海しろあとセミナー「境目の城を考える」~上田・浜松・沼津~ [お城情報]

お城のイベントです。
境目の城に焦点を当てています。
今年話題の真田氏の上田城も登場します。


東海しろあとセミナー「境目の城を考える」~上田・浜松・沼津~
日 時 2016年12月17日(土) 13時~17時00分
場 所 アクトシティ浜松(静岡市浜松市中区板谷町)
定 員 140名(申込必要)
参加費 無料
内 容
1.事例報告
「上杉・武田・徳川の境目の城~真田氏館から上田城へ~」上田市教育委員会
「今川・武田・北条の境目の城~興国寺城と長浜城~」沼津市教育委員会
「今川・武田・徳川の境目の城~井伊谷城と引馬城~」浜松市教育委員会
2.講演 
「国衆とその動向(仮題)」柴裕之氏(東洋大学)
3.討論会 「大河ドラマの舞台を訪ねて~上田から浜松へ~」
問合せ
浜松市埋蔵文化財調査事務所
Email:maibun@city.hamamatsu.shizuoka.jp
℡ 053-542-3660

遺跡整備・活用研究集会「近世城跡の近現代」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。


遺跡整備・活用研究集会「近世城跡の近現代」
日 時 2016年12月16日(金) 9時~17時00分
場 所 奈良文化財研究所 平城宮跡資料館 講堂(奈良県奈良市)
定 員 100名(申込要)
参加費 無料
内 容
9:00        開場
9:30~ 9:40   挨拶・案内
9:40~10:00   趣旨説明
10:00~10:50   報告①「"郷土愛"と城跡の近代-藩祖と桜を中心に-」高木博志氏(京都大学)
11:00~12:20   報告②「近世城跡の神社と顕彰碑」羽賀祥二氏(名古屋大学)   
12:20~13:20   昼 食
13:20~14:40   報告③「城址の公園化と風致、模擬天守閣と景観」野中 勝利氏(筑波大学)
14:50~15:20   報告④「近世城跡の近代遺構-建築・公園・庭園」 内田 和伸氏(奈良文化財研究所)
15:30~16:40   質疑・総合討議
16:40~17:00   閉会挨拶
問合せ
奈良文化財研究所 文化遺産部遺跡整備研究室
℡0742-30-6710

赤穂城 その9 [お城踏査]

赤穂城の記事もそろそろ終わりです。

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大手門に戻ってきました。

大手門脇の二重隅櫓です。

よく見るとその奥にも櫓のような建物が見えます。

これは櫓ではなく、お土産店です。

このアングルで見ると櫓のデュエットみたいに見えて好きな景色です。

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二重櫓の奥にある櫓台です。

ここは石垣だけで、江戸時代にも櫓はありませんでした。

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赤穂市博物館にある赤穂城の模型の大手門付近です。

模型も櫓台だけで建物はありません。

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櫓台を別のアングルで。

奥に見えるのが大手門脇二重櫓です。

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櫓台の反対側の堀は残念ながら埋められてしまっています。

しかし、石垣はよく残されています。

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大手門と二重櫓です。

絵になる景観です。

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近くの商店には大石内蔵助良雄の人形がありました。

赤穂城と言えば「忠臣蔵」が有名ですが、浅野氏が城主だったのは江戸の初期だけで、浅野内匠頭が江戸城内で高家の吉良氏を切り付けるという正気のの沙汰とは思えない刃傷事件を起こして改易になってからは森氏が入りました。

森氏はその後も赤穂領を治めて明治維新を迎えましたが、赤穂城には森氏の「も」の字もありません。

忠臣蔵一本です。

赤穂城も浅野氏よりも森氏の時代のほうが数倍も長かったけど、それほどインパクトがあったのでょう。

赤穂城もあの事件がなければ、これほど有名になることはなかったでしょう。

同じようなことは上田城でもいえます。

上田城は真田氏の城として有名ですが、実際には近世には真田氏はほとんどいなくて、江戸時代の城主は仙石氏や松平氏でした。

知名度的には真田氏や浅野氏のほうが有名なので、観光的には仕方ない点もあるでしようが、他の歴史があることも知ってほしいですね。

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赤穂市のマンホールです。

(終わり)

赤穂城 その8 [お城踏査]

12月だからと言って、赤穂城のネタで14日まで引っ張る予定はありません。

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二の丸の西仕切門です。

平成22年に復元されました。

赤穂城は地味に復元が進んでいます。

しばらく行かないと知らぬ間に門や土塀が出来ていたりします。

かといって、名古屋から赤穂は遠いので、そう頻繁にはいけません。

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西仕切門は二の丸を南北にわける門です。

発掘調査の結果、控柱付きの棟門だったことがわかりました。

文献資料や絵図によると「透かし門」と呼ばれていました。

門扉の一部に横板を張らない構造だったと思われ、そのように復元されました。

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西仕切門の土塀と石垣です。

土塀には狭間が切られています。

こちらも丸、三角、四角の狭間が規則的に並んでいます。

本丸門の土塀は狭間が大きく感じましたが、こちらは小ぶりでスマートに感じます。

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土塀です。

西仕切門の中は二の丸庭園を整備中です。

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西仕切門付近から見た二の丸庭園の門です。

その右は本丸隅櫓です。

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本丸の石垣です。

(続く)

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